亡き父の誕生日に、過去のキョーレツな事件を思い出し笑い

家族

亡き父の誕生日に花束とケーキを買って仏壇に備える。
父の写真を見ながら、今は平和だなと思う私。

生前、父はとにかくキョーレツな人だった。
私が小学校低学年の時のこと。
お父さんの職業は?と聞かれると
私は「暴力団」と答えていた。
(※会社経営者です)

父とは、それはそれは色んなことがあった。
男尊女卑、外柔内剛で家では本当に怖いのに
天然社長と呼ばれる私の10倍は天然だった(笑)

以前、結婚式の時にも、父のど天然ぶりを
書いたが、天然力で「人を笑わす力」もある
一方で怒ると本当に怖い人だった。

今回の話は、平成生まれの人には過激すぎるので
平成の人は、読まないでください(笑)
昭和の人は読んでも大丈夫です。


実家を訪ねたある晩、
父の母に対する扱いが許せなくて、
私の中で止められない何かがぶちまけられて
父と私の口論に。

すると、父は想像を絶する怒り方をして
寝室にいき、戻ってきた父の手には
「ナタ」があった。

ゾーッとして全身の毛穴が開く。
ヤバい、殺されるかも。。
私は慌てたそぶりをせずに110番をした。

数分で警察が来る。
外柔内剛の父はいきなりニッコリとして
「いらっしゃい、どうしたのかな?」
父は、警察もびっくりの大変身をした。

「口論になって父がナタを持って来たので
110番しました」と私が警察にチクる。

警察が来ている間に着の身着のままで
夜中、母と家出をした。
不思議なことに、住宅街で空車のタクシーなど
通らないエリアなのに、空車のタクシーがきた。

こんな時にすら、私は思う。
「私って運がいい」

そしてタクシーで母と私の家に向かった。
家について温かいお茶を入れて、
やっとホッとした。

「ママ。もう二度とあんな男に会わない方がいいよ」

母は、黙っていた。

そして3ヶ月後、父から母へ電話がかかってきた。
なんでも父が、買い物に行く途中で
自転車に乗ったまま、なんと
工事中のマンホールに頭から突っ込んで
落ちたという。
それで動けないから母に帰って来てほしいという。

マンホールに落ちる人なんて、いるんだ。

私は、あの父が頭からマンホールに突っ込んでいく
漫画の一コマのような絵が思い浮かんでしまい
大笑いをしていたら、母からたしなめられた。

「もちろん帰らないよね?」

と母に聞くと、帰るという。
私の理解の範疇を超えているが、何十年も
夫婦をやった人たちには独特な絆?が
できるのか。。

母の後ろ姿を複雑な思いで見送った、、、。

私が「結婚願望ゼロ」、そしてカンボジアで
「女性の自立支援活動」をやっているのは
父の影響が多大にあると思う。

優しい父だったら、若いうちにどこかの金持ちと
結婚して、私はきっとバブル妻になっていただろう。

こんな出来事を思い出しながら、
マンホールに頭から突っ込んでいく父の姿が
漫画の一コマとして浮かぶ。
父の誕生日にそんな思い出し笑いをする
ヒドイ娘ですが、父が生きていた頃は
日々が激しかったなぁとしみじみ。

まぁ、それでも父から
「愛されている」と確信も持てていたなと。

口うるさくて、
歩き方、箸の持ち方まで厳しく躾けられた。
ピアノや茶道、剣道、スキー、やりたいことは
全てお金の心配なくやらせてもらった。

私がアメリカへ飛び出した娘に
私が死ぬ覚悟をして、コン●ームの選別をくれて
アメリカまで会いに来てくれて、泣いた父。

それでも、男尊女卑、ブン殴るで、
父が認知症になるまで、常に平行線な関係で
私の父はどうしてこの人なのかと
いつも考えていた。

しかし、そんな父も65歳で認知症発症。
84歳で旅立つまで、父は純粋な少年のようだった。
父が認知症になったことで、最後の20年は
問題も警察沙汰も起こらず、とても平和だった。

この20年、父と娘として、
良い時間が過ごせたことに感謝したい。

最後旅立つ数ヶ月前、父は母と兄に向かって
「アンタたちは、どなた?」と、言った。
60年父に尽くして来た母のことも忘れた。

いよいよ母のことも忘れてしまったんだーー。

すると父は、私の方へ向いて言った。
「わかな」
屈託のない少年のような父の笑顔で。

私が父の娘として生まれて来た意味ーー

人生ミッションに私がシフトできるため
だったんだねー、なんて父の位牌に話しかけた夜。

●わかな語録:親との確執に、人生ミッションのヒントがある。

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